通訳になることと英語ができることの違い

通訳者

「外国語スキルを活かした仕事をしてみたい」

そう考えたときに真っ先に思い浮かぶのは、通訳を生業にするか、それとも非日本語環境で働くか、どちらかになるのではないかと思います。

今回はこの2つの異なる道について、私の経験を交えて話をしていきます。

招かれざる客『社員に通訳させればタダ』

イギリス ロンドンに駐在していた頃、苦々しい経験をしたことがあります。

日本からセールスオフィスのマネージャーが予告なく来英してきて、「明日、○○と商談をしたいから同行して欲しい。」と、こちらの意向はおかまいなしに相談を持ち掛けられたのです。日本企業の在外支店(海外支店)のローカルスタッフと、東京のプロパーとは立場が歴然としていて、当時の上司も断りづらく、良きに計らえという雰囲気。そう、日本企業の在外支店にとって日本各地の拠点に勤務する方はお客様も同然。機嫌を損ねると得することは何もないという、海外勤務経験者であればピンとくるのではないでしょうか。

『正規に通訳を手配するとコストがかかる。支店の社員に通訳させればタダ』という発想。私にも予定があるし、その日に対応しなければならないタスクもある。それだけでも迷惑千万でした。

そして翌日、大勢の非日本人の前に駆り出された私は、彼の説明する日本語を英語に延々と通訳させられることに。。。資料もなく、予備知識もない。プロの通訳者でも困惑する一コマです。そして、ご多分に漏れず結果は散々でした。聴衆のうち何人かは呆れて途中で席を立つ始末。

言語を解することと、言語を変換するスキルは全く違う

彼の大いなる勘違いは、英語でコミュニケーションすることと、日本語から英語へ変換するスキルは全く違うということを理解していなかったことに尽きます。そもそもビジネスシーンはもとより日々の暮らしにおいて、私は英語に不自由することはほとんどありませんでした。それは英語で考えて英語で答えているからに他なりません。例えばBBCニュースやXファクターを視聴するときに、頭の中でいちいち日本語に変換しませんし、ご近所の知人や商店の人たち、医者や弁護士との会話についても同様です。

英語を日本語に或いは日本語を英語にするには、それなりに訓練が必要なのだと考えさせられたあの日の苦い経験が、時を経て通訳者の目利きに役立つとは想像もしませんでした。

非日本語環境に生きる

帰国してからそれなりに歳月が流れましたが、私の場合、現地で覚えた言葉、単語の日本語がなかなか出てこないことがあります。「日本語がわかる外国人、わからない外国人」「英語がわかる日本人、わからない日本人」といった組み合わせで会合があると、日本語と英語が綯い交ぜになって飛び交うことがありますが、そういうシチュエーションは結構苦手です。どちらの言語で話をすれば良いか、一瞬迷ってしまったりします。言語を瞬時に変換できる人ってすごいなぁ。そういう意味で私は通訳者に向いていないというか、才能がない。英語環境で仕事をしていた方が心地よいと思ってしまうのです。

我流には限界がある

人間誰しも壁に当たったとき、立ち返るベースがあると、そこから自分の型を作り直して改めてチャレンジできますが、それがないとどのように改善して良いか解らず、解決策が見出せなかったりします。経験のないことの前では人間は無力です。

間の取り方、メモの取り方、訳出し方、自分では気づかなかったことも、第3者の視点から指導、助言を受けると目から鱗なんてことも良くあります。専門的訓練を受け、基礎が出来ている通訳者は一般的に修正能力が高く、より高いレベルへ挑戦しようとする、そんなイメージがありますね。